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● GOOD BYE WORLD  ●

GOOD BYE MY WORLD.

サヨウナラ、ワタシノセカイ。


◇◆◇


 白い灰は空を舞い行く。
 乾いた地面を踏みしめながら、彼女は探していた。
 白い大地、白い道。白い姿をした少女は歩み行く。
 捜し物はそこにあった。白い世界にひとつだけ、赤く染まったその場所に。
「……シィン」
 罪の意味をもつ名前を呼ぶ。
 赤い塊は応えない。微かに、風の音に消え入りそうな息。
「シィン」
 もう一度、名前を呼ぶ。その少年が、きちんと人の姿を留めていた頃の名前。
 赤の塊は、ゆっくりと澱んだ瞳を開いた。
 視線は虚空を彷徨う。もう、彼の世界には暗闇しか存在しないのだ。
「大丈夫、もうこの世界とはさよならだわ」
 浅い息と、冷たくなっていく肉塊。
 それはもう人とも呼べないモノだった。手足がつぶれ、首から下は血で赤く染め上げられた、人の成れの果てだ。
「おやすみなさい」
 最後に、彼は笑ったかのように思えた。何か言葉を遺そうとしたのかもしれない。
 浅く長い息が漏れた後、それきり彼は動かなくなった。
 白く染まった世界。白く濁った空を、もはや何も映さない瞳がじっと見つめている。
 やがて、少女はその細い腕に亡骸を抱え、歩き始めた。
 泣きながら、赤い塊を抱きしめる。
 白い、白い大地。
 少女が亡骸を引きずった跡だけが、赤く、赤く続いていく。

 さようなら。
 私は貴方に会いに行くわ。
 必ず、貴方に会える世界を《復元》してみせるから。



「お宅、よそもんだね」
 宿の主人は、少年の顔を見るなりそう言った。
 自らの腕に刻まれた記号と、手首に嵌ったオレンジのリングをよく見えるようにとこちらに寄せてくる。いかつい体格の男に迫られて、少年は少し怖じ気づいたようにすり足で後退した。
「お前にゃラベルと識別表がない」
「それ、必要なのか」
 戸惑いを隠せない様子で問う少年の肩を、主人は励ますように叩いた。
「ここには泊めてやれないが、お前みたいなのはそう珍しいわけじゃぁない。そう落ち込むな。そういう奴を専門に相手をしている所もある」
 主人は手近にあった紙とペンを取って、さらさらと簡単な地図を書き始める。縦横に交差した四本の線には現在位置を示す黒丸と、目的地を示す四角の記号。四角の場所は「管理局」と印されていた。
「ここで申請すれば、とりあえずの行く先を教えてくれる。上手く行けばすぐにラベルと識別表ももらえるさ」
「ありがとう、親切に。貴方はいい人だな」
 主人は「客商売が長いからな」と、大きな体を揺すって笑った。
 そのまま会釈して立ち去ろうとした少年の肩を、主人は思い出したかのようにまた叩く。
「言い忘れていた。お前さんがそうだとは思いたくないが、この世界に流れ着く奴には《罪人》の魂を持つ奴がいる。大抵は入り込む前に解るんだが、たまに紛れこんじまうんだ」
 主人は声を潜め、少年に耳打ちをした。
「そういう奴はみんな《守護者》に切り刻まれちまう。間違われないように気を付けるこった」
 守護神は白い姿をしていて、きっとすぐに解るから、と主人は続けた。
「……気を付けるよ」
「行く前にせっかくだから教えてくれ。坊主、名前は?」
「シィン」
 名前を聞いた途端に、主人の顔から笑みが消えた。どこか哀れみを含んだ瞳を向けられ、少年は曖昧な笑みを返す。
 鐘の音が聞こえる。平坦な町並みの中でもひときわ高く、頭が飛び出している時計塔の鐘だった。
 彼はその音に誘われるように歩き始める。
 ――自分はきっと狩られる側だ
 ただ漠然とそう感じていた。
 自分が《罪人》かと問われれば、違うと答える。少なくとも彼は、自分がそういう存在だとは認識していない。
 それどころか、彼がはっきりと自覚しているのは己の名前だけだった。
 帰る所も行く所もなく、宿の主人の言葉を聞く限りでは、自分を証明する物は何一つない。ラベルや識別表の事も教えられて初めて知ったのだ。
 自分を滅ぼしに来る白い断罪者。
 少年は地図の道を辿りながら、空想を巡らせた。奇妙な事だ、と自身でも思っている。自分を殺すのであろうその人物に、早く会いたいと、そんな事を考えてしまっているのだ。
 罪人に裁きを与える白い死神は、きっと美しい姿をしているだろう。
「貴方は誰?」
 不意に投げつけられた細い声に、少年は足を止める。
「貴方の情報は管理局に保管されていません。身分証明、もしくは出生元の詳細な記録を求めます」
 町並みは無彩色。灰色、黒、多少色がある物にしても茶色やくすんだオレンジの壁が辺りを象っている。
 その中で、彼女の白は鮮烈だった。白を鮮やかというのは奇妙な話だが、少なくとも少年にはそれくらい眩しく思えた。
「君の問いかけに対する答えは持っていないけど、名前だけはちゃんと解っている。俺の名前はシィンだ」
 少年が語りかけても、少女は何も答えなかった。白いワンピースと白い髪、じっとこちらを見つめる無感動な瞳だけが、深く美しい海の青。
「君にも名前はあるだろう。俺を殺す前に教えてくれないか」
 少女はそこで初めて、わずかながら微笑みを見せた。
「私の名前……? 変わった人ね。そんな事を尋ねてきたのは貴方が初めてよ。私はホープよ」
「《希望》か。良い名前じゃないか。もうひとつ訊いてもいいかな。殺すのは俺で何人目?」
「ちょうど百人目よ」
 随分と切りの良い数字に巡り合わせたものだ。少年はそんな現実感のない事を考えていた。
 白い少女の手に光の刃が現れたのにも、驚きはしなかった。ただ、来るべき時がきたのだ、と奇妙な実感が湧いただけだ。
「おやすみなさい」
 少女は微笑む。
「世界を侵す《罪人》に永遠の眠りを差し上げましょう」
 少年の視界は白く染まって、次の瞬間には暗転していた。
 ――熱い。
 深い闇へと変容した世界で、身体を引き裂く熱だけがはっきりと知覚できる。
 宿の主人は《罪人》は切り裂かれるのだと言った。果たして自分は何の罪で殺されているのだろう。それも尋ねておけば良かった。
 熱と暗闇の果てには静寂があった。
けれどそこは、終わりではなかったのだ。
 むしろ、始まりだったのかもしれない。



「なかなか興味深い経過を見せているよ。君も見るかね」
彼は何故だかとても楽しげな様子で、画面を凝視している。
「教授、全く持って笑えません。これは立派なバグですよ。ウィルスと言ったほうがしっくりと来る気もしますが」
「バックアップは取っているのだろう?」
やはり笑っている。
「悠長な。暇ではないのですよ」
「暇ではないが、そう忙しいわけでもあるまい。これも研究のひとつと思えばいいのだよ」
 納得行かないながらも、彼の後ろに立って画面を覗き込む。そこはさすが教授というべきなのか、しっかりと詳細記録を記憶メディアに順次書き出していくように設定をしてあるらしい。
「バグでもウィルスでも結構。《守護者》はそれらを自動修復、排除をするために在るのだからね」
「いつからそこまでの信頼を寄せたのですか」
「だって、良い機会ではないかね。我らの成果が今、試されようとしているのだよ」
 何を言っても無駄なのだろう。
 諦めに等しい気持ちで、画面の変化を目で追っていく。
 幾度かのエラーを修正して、再び文字列は元の状態へと返っていった。



 彼はとても不思議な存在だった。
 街を見下ろしながら、少女は想った。
 普通の《罪人》は、殺されると解ったら逃げたり、抵抗したりするものだ。自己保存の本能が、彼女が点滴だと知らせるのだろう。
 最も、彼女にとってはそんな事は痛くもかゆくもない。この街の中ならば、一瞬で行き来できる。場所さえ解っていれば、排除にはそう時間がかからない。
 どんなに姿がそれらしくなくても、《罪人》を違えた事などない。彼らはラベルも識別票も持たないでここに来る。
 あの少年は間違いなく《罪人》だった。そのはずだ。
 ――もう一度、会いたい。
 不謹慎で、有り得ない空想を少女は抱いていた。
 彼はもう現れない。少女が解体して消し去った。この後に同じ型を持つ《罪人》が現れる事があっても、彼自身は永遠に戻らない。彼女は何故か哀しい気持ちになって、抱えた膝に顔を埋めた。
 リーンゴーンリーンゴーン
 鐘がなる。
《罪人》の来訪と、裁きの刻を告げる鐘が、唄っている。
「……行かなくちゃ」
 立ち上がって、スカートの裾についた埃を払った。時計塔の上から見える街は広く整然としているようで混沌として、様々な物が溢れているのにどこか寂しい。
 少女は罪人の出現場所として、ちょうど先日あの少年と出会った辺りと見当をつけた。
 元々、あの界隈は新参者がよく訪れる辺りだ。旅人の振りをして訪れる多くの《罪人》は、大体この場所に現れる。
 少女は手のひらに光の球体を浮かべた。それは中空で弾けるような輝きを伴ってふくれあがり、白い光の輪を作る。この輪をくぐれば、世界の好きな場所へと降り立つことが出来るのだ。
 《罪人》を狩る時には、裁きの刃にもなる。あの少年を切り裂いた時と同じように。
 何故彼の事を考えてしまうのだろう。
 少女は悶々としていた。それも光の輪を潜り《罪人》の正体を探り始めるに至って、頭の中から姿を消す。
 狩りの時間が訪れたのだ。
 くだらない感傷は捨てなければ。《守護者》の役目に支障をきたしてはいけない。
 管理局の場所に降り立ち、彼女は辺りを見回す。この近くに必ず《罪人》がいるはずだった。
「――やあ」
 彼女は聞こえるはずのない声を聞いた。
「違うわ。そんなはずはないもの。だって私は貴方を……」
「俺は君に殺されたからな」
 振り返った先にいた「彼」は、困ったように笑っていた。
「シィン」
「名前、覚えていてくれたんだ」
 不可解だった。殺したはずの相手がそこにいる。似たタイプの《罪人》ではない。正真正銘の本人だ。彼を殺した時に与えた認証IDと合致する。同じタイプでもIDは個体ごとに発行される。何より本人が少女の事を覚えているのだ。
「何で、どうして?」
「こっちが聞きたいくらいだけど」
 少年は心底困り果てているらしい。
「ホープに会えば解るかと思って、ここで待っていた」
 少しだけ考えてから、彼は「問答無用で殺されたらその時はその時で」と付け加えた。
「気づいたら初めて来た時と同じ場所に立っていたんだよ。ホープはちゃんと俺を殺したよな」
「もちろんよ。それが私の役目だもの」
 だからこそ、彼が存在するのはおかしい。
 彼女はこの少年を切り裂いた。人の形がなくなるまで、何度も刃を振るった。《罪人》はそうやってバラバラに分解してから、棺に鎖で幾重もの封印を施し、専用の墓地へと埋める。彼も例外ではなかった。
 あの場所から戻ってきた者はいない。少なくとも彼以外には、前例がなかった。
「でも、ホープも知らないんじゃ、仕方ないよな」
 ため息をつく彼をよそに、少女は焦っていた。
 どうやって戻ってこられたのかは解らないが、彼が《罪人》である事には変わりがない。彼の訪れと共に鳴った鐘が、その事実を教えてくれた。
 ――どうしよう。
 彼女の中で、抗いがたい感情が渦巻いては消えていく。
 彼を殺したくない。けれどもう時間がない。もうすぐ鳴ってしまうのだ。
 断罪の時を告げる、あの鐘の音。
 リーンゴーンリーンゴーン
「あ、あぁ……どうしよう、どうすればいいの?」
 終わりを告げる鐘。早く殺せと、世界が告げている。
 何故、彼女がこれほどまでに焦り、恐怖するのかが少年には解らない。困った様子で少女を見つめている。
「どうしよう、私、貴方を殺さなくちゃいけないの。そうしないと世界が壊れちゃうから」
 少年は、きょとんとした顔で彼女の瞳をじっと見つめた。
「何だ、そんな事か」
「何だ、って。貴方を殺すのよ? 私が」
「……前だってそうだったじゃないか。むしろ、何で今は殺さないのかって思っていたけど」
 二人はしばしの間、互いを見つめ合って沈黙した。
 その間も鐘は鳴り続けている。
「怖くないの?」
 やがて、少女の口から漏れた小さな問いかけに、彼は少しだけ考えて、どこか釈然としない顔で頷いた。
「それがどうしたわけか、全く怖くないんだよ」
 二人はもう一度互いの顔を見合わせ、示し合わせたかのように笑い出した。相変わらず、鐘の音はうるさいくらいに降り注いでいる。
「もう一度殺してくれ。確かめたい事があるんだ」
「今度こそ本当に死んでしまったら?」
「それはそういう運命だったんだよ。何せ俺は《罪人》だし」
 妙な所に割り切りがいい少年だ。自分の命を軽く見ているのかのようだが、そもそも彼には死ぬ気など微塵も存在していない風に見える。
「やっぱり変な人」
「自分でもそう思うよ。でも俺は知りたい。俺が《罪人》なのは解るけど、一体何の罪で裁かれているんだ? 君が知っているのかと思ったけれど、その様子じゃ知らないんだろう」
 少女は頷いた。そもそも彼女は自分が何故《守護者》なのかも知らない。本能のように、自分が《罪人》を裁く存在だと信じ込んでいた。
 そもそも《罪人》に――それどころかここに住む全ての住人に、あんな親しげに話しかけられた事はない。《守護者》は常に畏怖の対象なのだ。
「私も知りたくなってきたわ。何故、貴方が甦ったのか」
 そして、何故自分は《罪人》を裁かなくてはならないのか。
 鐘は一層強く鳴り響く。少女は光の刃を手にかざした。
「また会いましょう」
 最後の一瞬、彼は確かに微笑んだように見えた。



 メディアは記録を続けている。
 教授は自分でコーヒーを淹れてくると、再び画面前の椅子を陣取った。
「言ってくだされば用意いたしましたのに」
「いやいや、君らは他の仕事もあることだし、そこまでの気遣いには及ばないよ」
 彼はまた、画面へと視線を戻す。
 解体、復元、また解体。
 詳細結果はサブウィンドウに、文字列として表示されていく。エラー音が定期的に響き渡った。
「やはり外部から消した方が早いのでは?」
「しかし、今の所はこれで安定しているからね。あまり外から介入するのは、かえってバグを増やしかねないよ」
 彼の言には一理あった。外部介入を極力押さえ《守護者》を通じて処理を行う事で、安定性を高めたのだ。
「時には待つのも大切だ。これからの事も考えて、サンプルを取っておくのは良いことではないかな」
「しかし、教授はどちらかというと個人的に楽しんでいらっしゃるようにお見受けいたしますが」
 ミルク入りのコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、彼はおどけたように肩をすくめてみせた。



 やはり自分は簡単に死ねないらしい。
 少年は目を開いた。三度目の光景が瞳に飛び込んできても、もはや驚かない。
 警鐘はすぐに鳴り出すだろう。彼女が来る前に、やっておくことがあった。
「こんにちは」
 彼は宿に訪れていた。最初に立ち寄った、あの気のいい主人のいる場所だ。
 彼は少年に気づくとわずかに頬を緩め、片手を上げる。しかし、次の瞬間にはその表情は訝しむように歪んでいた。
「シィン、識別表はまだもらっていないのか」
「もらいに行けるわけがないだろ。《罪人》なのに」
 少年は困ったように笑い、遠巻きに彼の正面に立った。
「もっと近寄ればいいだろうに」
「迷惑かかったら困る。貴方なら知っていると思ったんだ。貴方は《罪人》に多少の知識があるようだからさ」
「《守護者》が切り裂くのは例外なく《罪人》だ。もちろん、俺も。どういうわけか二回も生き返ったけど」
 宿の主人は《罪人》に間違われるな、と言ったが、そもそも《守護者》は識別票やラベルだけで見分けてはいない。
 あの少女は、鐘の音を聴いて彼を狩りに来た。つまり、彼女が独断で《罪人》を判別しているわけではなく、何か別の意志が《罪人》の判定を行っているのだ。
「貴方には俺が《罪人》に見えるか?」
 主人はゆっくりと首を横に振る。
「今まで、俺の他にも《罪人》らしくない奴が《守護者》に殺されるのを見た事があるのか?」
 今度は、首を縦に。
 ここを訪れるものの中には《罪人》の魂を持つ者がいる。
 初めにその事を教えてくれたのは彼だった。知っていたのだろう。《罪人》は「罪」を犯した者の事を指すのではない。何らかの理由で「排除」しなければならない要因を持った者に与えられる呼び名なのだ。
 少年は宿の主人に軽く会釈をすると、踵を返した。道にはまばらに人がいたが、誰もかれも余す事なく、識別票がついている。ラベルはつけていない者もいたが、識別票は必須らしい。
 程なくして、鐘の音が響き始めた。《罪人》の、つまり少年の来訪を告げる警鐘だ。
 彼女を呼ぶ声でもある。
 ふわりと、白い影が目の前で舞い踊った。
「ホープ!」
 彼は少女の名を呼んだ。眩しい白をひるがえして、彼女は少年の前に舞い降りる。
「やっぱり貴方はここに戻って来てしまうのね」
 微笑みながら、彼女は少年に歩み寄った。が、彼はほとんど反射的に少女から遠ざかろうとする。
 彼女は首を傾げた。
「どうしたの、シィン」
「教えてくれ。《罪人》をもし放っておいたとしたら、一体どうなるんだ?」
「この世界を壊す、って私は認識していたけれど。実際この目で見たことはないわ」
 それはそうだろう。今まで彼女は忠実に《罪人》を狩り続けてきたはずだ。
 ある観点から見れば、少年は確かに《罪人》であったのだ。もし彼と出会わなければ、少女は今も何のためらいもなく《守護者》の務めを果たしていただろう。
 ――彼女に世界への疑問を抱かせたのは、他ならぬ自分だ。
 鐘はまだ鳴り響いている。《罪人》の訪れを告げる警鐘、つまり「世界の危機」を知らせる音だ。
 そして今訪れている危機とは、少年の事なのだ。
「だめだ、ホープ。早く俺を殺さないと」
「どうして? 私、貴方を殺さないで済む方法ばかり考えていたのに」
 冗談と思っているのか、少女はくすくすと笑っている。
 少年も別に死に急ぎたいわけではない。初めて彼女に会った時は、自分が殺される事に必然的な物を感じたのだ。
 抵抗は無意味で、為す術もなく切り裂かれるのが運命なのだと、魂に刻み込まれた気がした。次の瞬間には彼女にだったら殺されるのも悪くないとすら思っていた。
 今の少女にはそれを感じない。彼女自身に、少年を殺す使命感が薄れてきたせいもあるだろう。
 見方を変えれば、彼女は「世界の崩壊」を容認する、という事だ。《罪人》を赦すというのは、そういう意味を持つ。
 この世界が壊れる。実を言えば、少年にはそれほど感慨の湧かない事象であった。彼自身はこの世界に来て日が浅い。しかもそういう経過をたどって「壊れる」のか予想もつかないし、そんな災厄を持ち込んでいるという自覚があるわけでもない。
 ただ、考えていた。
 役目を投げ出した《守護者》がどうなってしまうのか。
 本当にこの運命に抜け道はないのか。
 自分がいつ、世界を壊すのか。
「でも、だめだ。もう時間がないだろう」
 一瞬後には、自分は世界の災厄になっているかもしれない。
 鐘の音はますます強く、乾いた町を震撼させる。
「俺はこの世界に来て、君に出会った。何故かはよく解らないけど、殺されるのも運命だと割り切れたし、蘇って戻ってこられたのにも驚かなかった」
 彼は一つの仮定にたどり着いた。
「多分、本能的に知っていたからだ。何度君に殺されてもここにたどり着くって事を」
 そして、もしもそれが《罪人》であるがゆえの本能なのだとしたら。 例えば《守護者》から《罪人》を狩る意志を奪い去るための。
「だから、君が俺を殺してくれなくちゃ困る」
 何度でも、世界が終わるまで、ずっと。
 少年が殺され続ける限りは、世界は危機を逃れ続ける。
 彼の言葉を、少女はずっとうつむいて聞いていた。白い髪に隠れ、表情は窺えない。
 ぽつり、と地面にいくつかの水滴が落ちる。
「初めてだったのに」
 ぽつり、ぽつり。
 彼女の瞳から溢れた雫は散っていく。
「笑いかけてくれたのは貴方だけだったのに!」
 光が舞う。
 鐘の音が耳朶に響き、彼女の放った刃が少年の瞳を奪った。

 世界がどうなろうと、少年は別に構わなかった。
 けれど、彼女まで消えてしまうのはとても悲しかったから、これでもいいのだと、そう思っていた。



「何度消しても復元機能に拾われてしまうんですよねぇ、これ」
「そうなんだよ。そこが興味深い」
「ですから、楽しんでいる場合ではありません」
 教授はどこまでも悠長であった。
 否、彼はいつでもこう享楽的な仕事ぶりというわけではない。興味を惹かれるものに出会うと、それ以外周りのものが一切目に入らなくなるだけの事だ。
「《守護者》がバグのあるデータやウィルスを解体処理した後、自動的に空いたデータを復元処理する。それが私達の作ったシステムだったね」
「えぇ。だから問題なのです」
「しかし、今の所はこのままでも正常稼動しているよ」
 あからさまなため息をついてみたが、彼はまるで聞こえていない様子である。彼にとっては、このバグが引き起こした問題とその結果が大切なのであり、事後処理の事などまるでおかまいなしなのだ。
「表層に現れている時はバグと認識しているのに、データを解体したら慌てて修復。つまりは必要データと見なしているわけだね。うーん、興味深い」
 そればかりだ。
 これはもう、何を言っても無駄なのだろう。諦めるより他はない。
「残業代、弾んでもらいますからね」
 教授は聞いているのかいないのか、生返事と共に片手だけをひょいと上げて見せた。



 彼の身体は解体して、前と同じ場所に埋めてきた。
 同じ認証IDを持つ者に、違う墓は作れない。実際、掘り返してみても、以前の彼の身体はなくなっている。
 少年は「復元」されているらしい。「複製」ではない。
「貴方を殺さずに、世界に受け入れる方法……」
 少女はずっとそれを探していた。彼が《罪人》である限り、《守護者》である自分は殺し続けなければならない。
「復元って《罪人》以外ならどんな物でも可能なのかしら」
 少女がこの世界に来た時、二つの事実を知った。
 ひとつは自分が《守護者》であり、《罪人》を殺すために存在する事。もう一つは、《罪人》の魂を解体した後は、世界がその喪失よって欠けた空間を自動的に「復元」すること。
 彼女は、それ以外の事は知らなかったし、知る必要もなかった。彼に出会うまでは、それで満足もしていた。
 《罪人》でありながら、幾度その魂を解体されても、世界の「復元」によって彼は蘇ってしまう。
「シィンの魂は本当に《罪人》なのかなぁ」
 見失ってしまった。
 少女は再び時計塔を訪れていた。最上階、街で一番高いその場所で、じっと膝を抱えて座っている。
 鐘が鳴るのを待つのだ。
「《罪人》は本当に世界を壊すのかしら」
 《罪人》である少年が復元されてしまうのは、彼が世界にとって必要だからではないのだろうか。
 少なくとも今のままでは、少女は彼を殺し続けなければならない。復元が起こる限り、彼も殺され続ける事になる。
 この世界に彼が存在する限り、続いていく。
 ――ならば、この世界の方を変えてしまえば?
 そんな考えが脳裏をよぎった。
 リーンゴーンリーンゴーン
 鐘が鳴った。
 彼女は刃を手にとって。
 時計塔を、解体した。

 簡単だ。
 彼女は、目に着くもの全てを綺麗に解体して行った。光の刃をかざすだけで、全てが白く、灰のように散っていく。
 舞でも踊るように、街を次々と消していく。
 遠くに人影が見えた。彼女が出会うことを待ち望んでいた、彼の姿だ。
 少年は白く染まった街を、呆然と見回していた。
「ホープ、どうして、こんな――」
「これから復元するわ」
 彼女は迷う事なく応えた。
「確かに、復元はする、かもしれないけど」
少年の顔は蒼白に近かった。
 辺りにはもうほとんど何もなくなっている。白い大地と白い空がどこまでも続き、地平の見分けもつかない程だった。
 息をするのもはばかられるような沈黙の後、少年はようやく顔を上げた。
「やめよう。まだ、元通りに復元できるんだろう?」
「貴方が《罪人》のままじゃ意味がないわ」
 もうこの世界には、《罪人》の裁きを告げる警鐘は鳴らない。ラベルも識別票も要らない。
 全て少女が解体してしまったのだ。
 彼は答えない。ただ、呆然として少女に瞳を向けている。
「貴方の中には初めから、自身を復元させるための何かが備わっているはずなの」
 少年は黙って首を振る。
 初めて会った時、彼は名前以外には何も解らない、と言った。今でも《罪人》として、どう世界に影響するのかも、推測するしかない状態だろう。
 彼は影響が《守護者》の弱体化ではないかと仮定したが、少女はまた別の見方で仮定を導いた。
 少年の「罪」は世界の「復元」を狂わせる事。システムに介入して、イレギュラーの復元を容認させる。それならば、きっと――。
「やめよう、ホープ」
「いいえ。できるはずだわ。貴方なら。この世界を変容させ、作り直す事。大丈夫、私も手伝うわ。世界を解体できる私なら、構造も知り尽くしているのだから」
 少年は、ゆっくりと辺りを見回した。
 白の世界。少女が作り上げた世界に、彼は何を思ったのだろうか。その表情から読み取る事は出来なかった。
「もし、そうならなかったら?」
 やがて、ぽつりと彼は呟く。
「また元の世界に戻るわ。貴方と私がさよならをする世界が」
 少女は、彼の決断をじっと待っていた。
 時間はあまりない。解体されたデータはあまりに時が経つと、復元できなくなる恐れがあった。
 それでも、彼女は少年の答えを返るまで、最後の一振りを実行には移さなかった。
 このまま消えてしまうのなら、これがこの世界の運命。
 《守護者》にあるまじき事を、彼女は半ば本気で考えていたのだ。
 白い大地に向けられていた少年の視線が、ゆっくりと少女のそれと絡み合う。
 彼は、少しだけ困ったように笑った。
「まいったな、これ、ほとんど脅迫じゃないか」
「このままくり返すよりは、名案だと思っているわ」
 少女は微笑み返す。
「次に会う時は」
「俺達が共に存在できる世界」
「待っているわ」
「上手くいかなかったら許してくれよ」
 光の刃が、少女の掌で閃く。
「大丈夫。今度は私から会いに行くわ」

 必ず、貴方と会える世界にたどり着く。



「ちょっと待ってくださいよ、教授。データそのものが完全に解体されちゃっていますよ!」
「そのようだねぇ」
「だから外部からどうにかしましょうって言ったのに!」
「ん、でもバックアップデータはあるわけだし」
 それは昨日までのデータだ。本日分の修正は全て無効化される上に、完全なものではない。
「慌てたところで仕方がない。予想外で面白いじゃないか」
「慌てましょう、少しは!」
 教授は、こちらの抗議などろくに聞いていない。ますます画面を追うのに没頭している。
 その画面は今、白く埋め尽くされている。出来上がったジグソーパズルをバラバラに砕くように、文字列が分散しては消えていく。
「私たちの成果がっ!」
「落ち着きなさい、よく見たまえ」
 気づくと教授は、こちらを振り返っていた。
「復元のプログラムが起動した」
 白く崩れていく画面を、新しい文字列が埋めていく。規則的に、時折変節的に並んでいく文字列は、覚えのないコードが混ざりこんでいる。
「なるほど、素晴らしいね」
「ど、どこがですか?」
「一度プログラムを丸ごと解体して、その中で例のバグを世界の中に組み込んでいるのだよ。《守護者》の判断だろう」
 教授は、カップに残った最後の一口を飲み干して、満足げに頷いた。
「実に素晴らしい成果だよ」



「どこかで会わなかったかい」
 宿の主人は首を傾げる。
 少年は笑いながら「気のせいだよ」と答えた。
「ほら、ちゃんと識別票もある」
 腕に刻まれた文字列を見せると、彼はますます首を傾げてしまった。
「どこかで会ったと思ったんだがなぁ、その識別票の番号は今までの記録にない。うーん」
「だから、気のせいだって。登録をお願いできるかな」
 釈然としない様子のまま、しかし彼は自分の仕事を忘れてはいなかった。識別票を宿帳に記入する。
「お宅、名前は?」
「シィンだよ」
「やっぱりどこかで会ったような気がするんだがなぁ」
 少年は三度目の「気のせい」を口にして、宿を後にした。
 見覚えのある道を歩く。一歩、一歩、踏みしめる。
 もう鐘は鳴らないのだと解っていた。鐘がならなくても彼女はきっと、来てくれる。
 あの白くて美しい、世界の《守護者》が。



「変則プログラムを自力で開発して組みなおしてしまうなんて、造ったこちら側もびっくりですよ」
「だから素晴らしい成果と言ったじゃないか。学習機能に応用変則式を教え込んだ君達の労が報われたわけだ。まさか、バグを利用してプログラム組み換えるとはね」
 教授はひたすら満足げに、二杯目のコーヒーに口をつけた。
 画面上で組みなおされたプログラムの一覧が表示されている。ざっと目を通してみたところ、修正すべき問題点は見つからない。詳しく調べればまた違ってくるのかもしれないが、少なくとも現時点では問題はなく稼動している。
「バグは取り除くものではなく修正するものだよ」
「それは、そうですけど……」
 やはり、教授は悠長に構えすぎだと思われる。
 本音はすんでの所で飲み込んだ。
「まぁ、いいじゃないか。結局問題は起きなかった。そして彼らは幸せになった。結構な事だ」
「彼らって誰ですか」
「《守護者》のプログラムと例のバグ。綺麗に問題点が修正されて、いたちごっこももう終りだ」
 時折、彼はこうした子供じみた空想をする。
 プログラムは所詮プログラムであって、人間ではないというのに。
「確かに、愛着はありますが――」
「そういう意味ではなく、だよ」
「人の心だって元を正せば脳の電波信号だ。私たちが作ったプログラムにも、解らないだけで心があるのかもしれない」
 画面には文字列。手前には、満足げな顔でそれを見つめる教授の姿。
「確かに、教授がこれを見る目は父親のそれですね」
「実際、我が子も同然だからね」
 教授は笑った。

「末永くお幸せにね」


「……ただいまって言えばいいのかな」
 彼の言葉に、彼女は微笑む。
「いいえ。ここは前の世界を模倣して作りなおした、新しい世界よ」
 輝く長い髪を揺らし、白のスカートをひるがえして、彼女は走り出した。
 もう殺さなくても良くなった、世界の住人の名を呼ぶ。
「シィン!」

 少年は少女と邂逅する。

◇◆◇



オハヨウ、ワタシタチノセカイ。

HELLO OUR WORLDS.

《END》

 

2005.12.発行同人誌から再録

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